FC2ブログ

第九十四回 30年目の故地重游 4

北京
05 /23 2019
北京南駅の切符売り場 2015年

 北京-天津を往復するのに、高速列車を利用することにしました。距離にして120㎞、所要時間約40分。30年前は2時間近くかかったと思います。
 乗車券は日本からネットでの予約も可能なようですが、今回は一緒に天津へ行って下さる、北京在住のA嬢に予約購入をお願いしました。

 1985年に北京天津間を往復した時は、北京市側が全てを手配してくれたので、私たちは何の苦労もありませんでした。外国人である我々と、中国人が乗車する客車が鍵で閉じられ、ハッキリ分けられていたのも、あの時代らしさを物語ります。

 1990年代前後の私は、一介の留学生として人民に紛れ、時には争奪戦の如く列車の切符を手に入れたものです。
  何だって、こんなに沢山の人が移動するのだろう(自分もその中の一人だったのに)。何だって、みんな並ばないのだろう(効率悪~)・・・。嗚呼、イヤだ嫌だ!もともと諦めがよく、人々との争い(!?)も好まない私のトラウマは、そう簡単に薄らぐことはありません。
 あの頃は、乗り物に「外国人料金」なるものが適用されていました。更には中国元も基本的に外国人が使うのは人民幣ではなく外貨兌換券と決められていて・・・と、色々な面倒もありました。

「和諧号」もスッカリ中国列車の花形 2015年 北京

 現在は、そのような料金上の区別も、外国人への優遇もありません。切符はインターネットによる予約購入も出来ますし、窓口で買う場合も、おおかた誰もが大人しく列に並んでいるようです。
 中国の高速列車に関しては先年、上海から蘇州へ行く折に自分で切符を購入、乗車したので、既に体験済です。外国人は窓口でしか乗車券の購入が出来ませんが、中国人は便利な自動券売機の利用も可能で、鉄路のスピード化にも沿っていると言えます。

北京南駅 2015年

 渡航が近づいたある日、A嬢から連絡が入りました。乗車券の予約には身分証明書・パスポートの番号等が必要、とのこと。
 直接購入する場合でも、外国人はパスポートの提示が求められます。念のため、パスポートの番号が記載してあるページのコピーを取り、メールと郵送でそれぞれA嬢に送付して代理購入をお願いしました。

 中国人外国人問わず、いずれにせよ切符の購入には本人確認が必要なので、中国国内の人々の移動は、当局の管制下に置かれているということか。

 さて、天津行きの朝、出発駅である北京南駅改札でA嬢と待ち合わせ!実に20年以上ぶりの再会です。
 感動に浸りながら、予約した乗車券を受け取りに窓口へ赴くと、A嬢が何か言われている。どうやら、予約時の記名に問題があったらしいのです。ネット予約の際、A嬢は日本語氏名=漢字表記で入力したところ、正しくはローマ字で書かなくてはならなかったのでした。

車内販売の和諧号グッズ。他にもライト等アリ。 2015年

 窓口での説明によると、発券の際に提示するパスポートのローマ字氏名の記載と、予約時に入力した氏名が一致しないと発券が出来ない、という理由だそうです。考えようによっては、さもありなん。
 確かに、他の言語を母語とする人ならば、世界共通のローマ字表記を心がけそうなものですが、日本人は時として中国語と日本語における漢字を混用してしまうので、このようなミスとなったのかも知れません。でも、ネットの画面上ででも注記してくれていれば、こんな双方にとって面倒な事も避けられただろうに、とちょっと思ったりして。

 そうこうしている内に、自分たちが乗りたい列車の出発時間が迫っています。経験上このような場合、埒が明かないのは明白。ただちに予約はキャンセルし、別の階にある通常の購入窓口へ走って買いなおし、何とか間に合いました。
  結局、当日朝に直接購入するのと同じことになりましたが、もし中国語が解らなければ、やはり不便ではあります。全く、中国での列車利用は今でもオッカナビックリの私です。
 想定内の(!?)小さなハプニングがありながら、列車は軽やかに加速し、A嬢が用意して下さったお菓子やコーヒーを楽しむ間もなく、天津へ到着しました。


・・・・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2016.8.22 に掲載されたものを転載しています)
スポンサーサイト



第九十三回 30年目の故地重游 3

北京
05 /17 2019
渋滞にあえぐ北京。 2015年

 こうして北京での一日が終わりました。

 仕事でお忙しいM氏夫妻に迷惑が掛からぬよう、当初は一人で歩こうと思っていました。

 北京も地下鉄網がとても発達して、かなりの距離を結んでいます。
1969年10月に中国初として開通した北京の地下鉄は、2015年現在で全18路線を運行。2016年末にはもう一路線開通が予定されているそうです。今世紀に入ってから一気に17路線が開通ということは、一年に一路線開通というスピード。凄い。これも都市化と経済の急成長による賜物か・・・。
北京市では、2020年までに30路線まで拡大する計画があるそうです。ということは、数年以内にあと10路線??地盤沈下とか、大丈夫なのかしら、と素人考えながら心配してしまいます。

長安街からも、自転車用レーンが除かれて久しい…。 2015年 北京

 昔は一律料金だった地下鉄の運賃は、距離別運賃制へと変わり、窓口で手売りだった乗車券は、タッチパネル方式の自動販売機で購入出来ます。ICカードも自動改札もあるしで、乗り換えも便利なのです。

  自分としては、これらの公共交通手段を利用して・・・、と考えていたものの、アッサリ却下されました。M氏がタクシーをチャーターして下さり、結果的にとても効率よく移動することが出来ました。全体的には、万歩計を付けていたら相当な歩数を刻んでいたのではと思われるほど歩きもしましたが、M氏の配慮には、感謝する他はありません。

車の洪水の向こうに中南海。 2015年

 殆ど保護者のようにして、昼間の観光はM氏が付き添い、晩に帰ると、仕事を早く切り上げて帰宅した奥様が手料理で迎えて下さる・・・、という具合で、まるで子供扱いというか、至れり尽くせり。

 以前から、自宅で手料理をふるまいたい(=だから、ゆっくり時間を取って北京へいらっしゃい)、と仰っていたとおり、奥様は料理も大変上手。
どこかでお話したかも知れませんが、私が未だに自分史上ナンバー1に挙げる中国料理は、このM夫人によるエビ料理です。それを憶えていて下さっていたのか、今回も立派なエビが食卓に上っていました。

 夫婦揃って日本びいきなこともあり、M夫人は日本料理も時折作るそうです。その時は昆布や鰹節でちゃんとダシを取るとの事で、ビックリ。本棚にも、日本料理の指南書をズラリと並べています。パンやお菓子も、日本で出版された料理書(翻訳版)を参考にして作る徹底ぶり。全く以て、恐れ入ります・・・。

M夫人による中華ディナー。 2015年

 自分が彼らをお迎えする立場となったら、同じようには到底出来ません。実際、その旨を直接訴えたことがあるほど、毎回恐縮するもてなしぶりで戸惑うくらいです。少なくとも嫌われてはいない証拠なのだろうけれど、果たして一体、私が彼らに何かしてあげたっけ?と首をひねるばかりなのです。


・・・・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2016.7.22 に掲載されたものを転載しています)

第九十二回 30年目の故地重游 2

北京
05 /15 2019
頤和園の休憩所にて。 2015年 北京

 水が乏しかった北京では、水辺に住まうことが贅沢に数えられるのか、昔から宮殿や貴人の邸宅も多く(現在でも、政府機関中枢にして要人の居住区・中南海は水辺!)、北京の代表的な景観には、水がつきものです。
 北海公園に広がる北海では真昼の太陽が、頤和園では夕日が昆明湖の水面を照らして輝いていました。

 M氏夫妻は、外で酸?(スワンナイ・ヨーグルト)を見ると、必ず私に勧めます。しかも昔風の、厚ぼったい瓶に入っていてストローで吸うタイプに限ります。勿論、私の好物であることを知っているからですが、気配りが細やかというか、何というか・・・。今回も、晴天下を歩き廻った私たちは、北海公園の木陰でヨーグルトを、頤和園の休憩所では、これまた懐かしい北氷洋汽水(ベイビンヤンチーシュイ)で涼を取りました。

昆明湖に遊ぶ。 2015年 頤和園 北京

  北氷洋汽水は、1936年販売開始の、中国における清涼飲料水の草分け。嘗て毛沢東の時代には、政府主催の宴会指定飲料だった輝かしい歴史をも有しています。現在は外資の技術提携なども経て、新しい味も出しているようですが、昔ながらの味は、やはりオレンジ味!ひょっとして、私が紙製のストローと格闘していた飲み物は(『玉手箱』第33、34回参照)、これだったかも・・・。

30年前の友誼賓館

 北京大学は、私が寮生活を送った宿舎が取り壊されると噂で聞いたので、立ち寄ってみました。
 自分が北京大学内に居住したいた頃は、外国人の出入りにかなり厳しかったけれど、今はどうかな?
車輌用の門から入ろうとすると、事前申請制で許可証が無いとダメ、とのこと。どうやら外部者も含めてそんなカンジだったので、従来のクセで、諦めが早い私が帰ろう、と言うとM氏は車で別の門へ回り、歩いて入ってみようと私の促したのでした。
 知らんふりして入ってみよう、と。門番に呼び止められることなく構内に入れてしまえば、こっちのものです。遠回りにはなったけれど、久々に歩いて北京大学の広大な敷地を横切り、目標の留学生用宿舎に到着しました。
 ところが取り壊し、はどうやらデマだったようで、寮は昔のまま現役続行中。少しホッとしました。中に入らず外から眺めただけですが、5年前には見られなかった空調が各部屋に取り付けられているのが、外観から判りました。この様子だと、まだ大丈夫かな?
 昔あったモノが無くなってしまうのは、何とも寂しく感じてしまいます。 

30年後の友誼賓館
 
 この日の最終立ち寄り地点は、友諠賓館。30年前の私たちが宿泊したホテルです。
 30年前に撮影した写真とほぼ同じ角度で写真が撮れるよう、わざわざ中まで車で入って貰いました。
 後で知ったところによると、こちらは元々はソ連(当時)の技術援助で建てられた外国人専用の長期滞在型ホテル。旅行客だけでなく、エンジニア、出版編集者、翻訳者、放送関係者などの外国人エキスパートに提供する宿舎としての役割もありました。1985年当時の詳しい位置づけは不明ですが、一度に400余名を泊めるには、面積も設備も充分に有するこのホテルが最適だったのでしょう。
 尤も、その頃の私たちはそんな世界があるとは知らず、無邪気にも林間学校のノリで、部屋のベッドに吊るされた天蓋すら珍しく、夜遅くまで騒いでいたものです。


・・・・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2016.6.13 に掲載されたものを転載しています)

第九十一回 30年目の故地重游 1

北京
05 /14 2019
自撮棒で「ハイ、ポーズ!」 2015年 天壇公園 北京

 短い短い、北京&天津再訪の旅。

 私が30年前(間)を追憶する旅にしたい、と話したら「故地重游(グーディジョンヨウ)だネ」と言われました。お説の通り、昔訪ねた場所で再び游ぶ、です。

祈年殿をバックに記念撮影。 2015年 天壇公園 北京 
 
 北京に到着した翌朝から、早速出発。一日で天壇公園、天安門、故宮、北海公園、頤和園、北京大学、と廻りました。  いつまで経っても「初心者観光コース」から卒業出来ない私。それもこれも、北京を再訪するスパンが長いからだと判ってはいますが「一度行った国や都市の再訪は、取り敢えず後回し」という自分の原則なので、なかなか難しい問題です。

 週末の天壇公園は、朝から沢山の人で賑わっていました。旅行者だけでなく園丘壇で自撮り棒を操る外国人留学生や、結婚記念写真を撮るために着飾ったカップル、ダンスサークルのオバサンたち・・・。皆、さまざまな過ごし方で楽しそうです。
 確か、30年前は「皇帝の庭だったのが、市民に開放されて公園となった」と説明されたように記憶しています。厳密に云うと違うけれど(天壇は本来、皇帝が天を祭る儀式の場)、当時は検証する暇も無く、何でもかんでも目にするものが珍しいばっかりで、めまぐるしかったです。

30年前の九龍壁。 1985年 故宮 北京

 天安門広場と天安門の間を東西に走る大通り・長安街は、30年前は横断歩道を渡りました。私が海外で大通りを横切った最初の経験(?)が、この長安街だった訳です。
 現在は地下通路が整備されていますが、今もしこの通りを歩いて横切ろうものなら、自殺行為になりかねません。

 天安門広場へ行くのにも、現在は一々荷物チェックが必要となり、世知辛い世の中となりました・・・。

 天安門の真ん中を通る橋は、現在は武装警官が立ちはだかり、通行禁止となっています。30年前に通っておいて良かったかも。当時は、手すりに腰かけている人民なんかも見られて、何ともノンビリした時代でした・・・。

30年後の九龍壁。 2015年 故宮 北京

 故宮では、20年以上ぶりに「九龍壁」を見学。昔とちっとも変っていない、と思っても、昔の写真と比べてみると、壁の前に手すりが設けられていたり、洗浄されたのか、全体的にキレイになっています。
 恐らくはオリンピックを境目にして、観光施設ともなっている文化財の整備が飛躍的に進んだのでしょう。こうした保護の姿勢は、何でもすぐに壊してしまう日本に比して、大変歓迎すべきことだと思います。


・・・・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2016.5.16 に掲載されたものを転載しています)

第九十回 中国今昔玉手箱・30周年 5

知人・友人
05 /13 2019
市中心部でもまだこのようなのどかな雰囲気が残っているとホッとする。 2015年 北京

 昔は、中国へ持参するお土産品に困ることはなかったのに、現在はさに非ず。
 ネットショップも大いに発達して、中国でも大都市に住まう限りは、日本とそう変わらない消費生活が送れるようです。それだけに、今回も何を選ぼうか迷いました。
 本当に、昔は良かった、です。ストッキングやタバコ・・・といったモノでも、十分事足りたのですから。

 因みに30年前の中国初渡航で、私はどんな土産品を購入したのか。
 当時のレートで1元が89円くらい?大体1元を100円で計算していました。各団員に渡されたお小遣いは、今は無き外国人用紙幣・外貨兌換券による支給です。
 物価も安かったのか、色んなモノが買えました。絵皿、ティーセット、チャイナドレス、墨、刺繍のスリッパ、掛け軸・・・。値段を覚えているものとしては、上海で手に入れた玉の腕輪3元、『三国志』で諸葛亮孔明が手にしているような羽扇子3元、人民服24.5元などなど。自分でも驚くのが、これらの殆どが未だ我が家のどこかに存在しているということです・・・。

日本から持参したバームクーヘン。  さて、30年後の日本から中国への土産品や如何に?

 日本人であるA嬢へは、日本の食料品を中心に選べば、多分間違いないと踏んで準備しました。
 が、中国人への贈り物は・・・。慣習的には大きくて嵩張るものが喜ばれるだろうけれど、むむむ。アチラはもう何でも持っているだろうしなぁ・・・、なんて思いつつ、遅々として進みません。
 どうせなら何か記念になるようなモノを差し上げたい。我が両親からも・・・、となり、荷物の大半をお土産品で占めるいで立ちとなりました。
 私が海外へ持参する土産品を選ぶポイントの一つ -郵送では破損や紛失が案じられるようなモノ- に従い、フランス製のクリスタルの置物、富士山が描かれた飾り皿・・・などを選びました。

 北京で荷を解かれ、現れた土産品の山を見たM氏夫妻からは「これからはこんなに持って来なくていいからね。自分たちも(私たちに)そうしないから。お互いにそう認識しましょう」と言われてしまいました。サースガー・・・。

 でも、中国から大挙日本へ押し寄せた旅客が各地で繰り広げた「爆買い」が、2015年の流行語大賞に輝いたくらいです。自分用だけでなく、周囲から頼まれて購入する品が少なくないようですが、頼まれるにしても、日本人とは種類も量もスケールが異なります。まだまだ、M氏夫妻が特別スマートな部類だろうと思われます。

 持参した中で、途中没収されたらどうしよう、と心配していたのが、お祝いに注文したケーキでした。わざわざ出掛けるからには、花を添える演出も欲しい。「30周年」を祝うのだから、年輪をかたどったバウムクーヘンに、お店のオリジナルで飾り用のビスケットにメッセージを書いて貰いました。


・・・・・・以下続く

(※ 註:この記事は 22016.4.18 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情