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第七十四回 北京再訪記 4

北京
04 /19 2019
前門 全聚徳 清末の雰囲気に合わせて、お店も改装 2011年 北京

 観光の初日は、オリンピック公園に始り、北京最大のチベット仏教寺院寺院・雍和宮、嘗ての最高学府があった国士監街を歩き、前門へ。

 スッカリ整備され、老北京の様子を取り戻したような前門で、大好きな北京ダックの昼食を頂きました。

 改装され正式開館を待つばかりの中国国家博物館の正門前には、巨大な孔子像がそびえ立っていました。

天安門広場横の中国国家博物館前の孔子像(当時外に出ていた孔子像はそれから程なくして建物内に移動している…) 2011年 北京

 政治的、地理的にも首都・北京の中心を走る大通り・長安街上に、天安門広場の(毛主席紀念堂に眠る)毛沢東と並ぶようにして古代の大思想家・孔子が並んで立っているというのは、何とも象徴的ではあります…。

 その後も后海、流行のオシャレスポット・南鑼鼓巷と歩きながら何種類もの伝統的な北京の小吃(シャオチ―・スナック)をつまみ、夜は老朋友と別れて、北京在住の日本の知人やスリランカの友と一緒に東来順にて、しゃぶしゃぶをつつきました。

東来順にて 2011年 北京

 スリランカの友とは、北京大学を卒業した彼女が引き続き留学していた米国はハーバード大学に訪ねて以来だから、10年ぶりの再会。

 待ち合わせ場所の北京飯店ロビーで、感動の抱擁を交わしました。が、その場に居合わせた日本の知人からは、後で「今時、北京飯店なんて待ち合わせ場所に使わない」と言われてしまいました。

やはり今でも北京飯店はランドマーク! 2015年 北京

 今は、北京ならば新東安広場(嘗ての東安市場、もっと旧い呼び名だと東風市場ですね)の入り口などが王府井における、一般的な待ち合わせスポットなのだそうです。

 私にお任せする、と言われたので、自分的には王府井のランドマークだったこの旧いホテルのロビーを指定したまでですが…。

 マ、私も旧い人間、ということでしょうか。

 北京観光の2日目は、今迄行った事の無い処を中心に廻りました。

 潘家園旧貨市場、東郊市場、中国現代文学館、前衛芸術家の作品が集まる798芸術地区、等々…。

 以前から欲しかった鳥かごも、念願叶って購入出来ました。
 中国では鳥を飼うのは、主にオジサンの趣味なようで、よく公園に自分の鳥かごを持参して仲間に自慢したり、寛いでいる様子が、イイカンジなのです。

 私自身は、鳥を飼っておらず、ただインテリアとして憧れていただけですが…。
 高級品ではないものの、竹製でデリケートなので、持って帰るのが大変でした。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2011.6.13 に掲載されたものを転載しています)
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第七十三回 北京再訪記 3

北京
04 /17 2019
オリンピック公園にて 2011年 北京

 結局は、今回の北京滞在では、中国の老朋友夫妻に観光から食住、交通に至る迄、スッカリお世話になってしまったのでした。

 彼等も、一応被災者である私の来訪が嬉しかったようで、本当に温かく迎えて下さり、愉しい時間を一緒に過ごせて有り難いことでした。

 さて、北京滞在丸3日間で、何処をドウ廻るか。

 私は、久し振りということもあるし、旧い北京を訪ね歩くことに重点を置いてプランを練っていましたが、主にアテンドして呉れた老朋友にしてみれば、オリンピックを経て新しくなった北京を、私に観て欲しい意図があったようです。

 しかし、新しいスポット・・・ガラス張りのショッピングモールや、超高層のホテルなど・・・は、これから先いくらでも訪れる機会があろうというもの。
 そんな処よりも、失われつつある旧い処へこそ今行っておくべき、という考えが強い私なのでした。

 しかしオリンピック公園は、やはり世紀のイベントが行われた場所ですし、一度は行っておかねば、と思っていました。

 6年前、鳥の巣も水立方も、影も形も何も無いオリンピック予定地を、わざわざ車で走って貰ったことがあります。

オリンピック開催予定地だった頃 2011年と同じビルが遠くに見える 2005年 北京

 丁度、立ち退きが完了したばかりの風情で、広大な空き地の中に車道が通り...、という感じでした。
 今後の地代上昇を見越してか、空き地を遠巻きにするように、マンションが既に点点と建てられていました。

 あの頃は、ココがコウなるとは想像だに出来ませんでしたが・・・。

 オリンピックを挟んで、確かに北京の街は更に変って行ったのです。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2011.5.19 に掲載されたものを転載しています)

第七十二回 北京再訪記 2

北京
04 /16 2019
昔の北京空港にて。ウッディーな感じ 1991年 北京
 
 出国の数日前、今回飛行機のチケット手配をお願いした、中国専門の旅行社を経営している友人から、中国人の出国ラッシュが続いている、とメールがありました。

 大きな地震に慣れていない(?)のと、何より原発の恐怖から、彼等を日本脱出に駆り立てているようです。
 皆早く日本を出たいようで、友人の会社では、数日間電話が鳴りっぱなしとか。会社のスタッフは昼食も摂れない程の忙しさだったようです。

 尤もこれは中国人に限らず、例えば東京在住の、私の友人であるフランス人なども、早々に避難帰省しています。

 兎も角、私の渡航に際し、中国の知人複数からは「北京に行ったら、暫く帰って来ない方がいいヨ」と言われました。そんな・・・。

 聞いた話では、北京行きのチケットが、最高で30万円超に値上がりしたとか。
 私が今年の初めに購入したチケット代は、その十分の一程度でしたから、凄いです。

 しかし逃げブーム(!)とは。嫌われたものです・・・。

 中国ではその頃、「塩騒動」が起こっていました。

 食塩に添加されているヨウ素が、放射能による被爆を防ぐのに有効、という風評が広がり、人びとが購入に殺到したというもの。
 勿論、放射能汚染予防には何の効果も無く、という結末ですが、それだけ中国の皆さんにも不安な思いをさせた、今回の原発事故でした。

 「大核民族(中国語で、大和民族と同音)」「塩慌子孫(塩を求めて慌てる様を表現しているのか・炎黄子孫と同音)」なんて言葉が生まれたようです。

 今回は珍しく夕刻発の便で、当初は夜遅くの現地到着に不安でした。しかし、午前発だったら、地震や原発事故による停電の影響で、遅刻しないで空港に到着する手立てが得られなかったかも知れません・・・。

 元々リムジンバスで空港に行こうと算段していましたが、出国の数日前より燃料不足につき、バスの運行を極端に制限することが決定。
 出発に際し、何とも後ろ向きな話です。

 しかし、関係各位による復旧努力は素晴らしく、出国当日には、電車が節電ダイヤながら、各駅停車、特急共に運行されていました。

 空港は、年末年始も斯くや、と云わんばかりの人ごみ!
 大丈夫かな、と少し途方に暮れましたが、列が長いだけで大きな混乱も無く、チェックイン、搭乗、となりました。

スッカリ近代的な北京の空港 2011年 北京

 飛行機は予定通り、夜10時過ぎに北京に到着。
 話には聞いていましたが、新しいターミナが増設された飛行場の美しさに、先ず驚いた次第です・・・。

 入国して外に出ると、出迎えに来て下さった中国の老朋友夫妻が、私の名前をデカデカと書いた紙を掲げて待っていて呉れていました。
 ひえー。恥ずかしいよぅ・・・。


 ・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2011.4.14 に掲載されたものを転載しています)

第七十一回 北京再訪記 1

北京
04 /15 2019
 2011年3月、春分の日の連休を利用して、久し振りに北京へ行って来ました。

 その出国日からさかのぼる事、丁度一週間前。2011年3月11日に関東、東北地方に巨大地震が発生しました。

 その後も余震、大津波、更に原発事故、・・・と多くの困難が、被災地を襲い続けています。

 私も、地震発生当日は、バスを乗り継ぎ、延々と明治通りを歩き続けて、トータル5時間半かけて帰宅に漕ぎ付けました。

中央電視台放送のお天気番組より。東京だけでなく、福島の天候も伝えられている 2011年 北京

 勤務先でも地震発生後数日は、出社が出来ない者、鉄路が運休して長距離バスに乗って出勤する者、色々でした。

 一部の業務に支障が出た中、多くの中国、台湾、香港の取引先からお見舞いのメールやファックスが届きました。
 被災地を中心に、郵便物の配達停止の措置が取られたので、暫くの間、現地から顧客への直送品は発送を控えて貰うよう要請するなどの対応に追われています。

 阪神淡路大震災で被災した、我らが「江南春琴行」の店主殿からも、早速お見舞いメールを頂戴しました。

 ・・・そんな最中における、出国でした。

 そう云う訳で、これから5回ほど、今回の北京行きのお話をお送りしたいと思っております。

 事の起りは、2010年も押し迫った頃。

 北京時代のスリランカの友人から、珍しく便りがありました。母国で考古学の研究を続ける彼女が、現在北京に滞在しているというのです。会いたいな、と。

 私自身も、北京は約6年ほど行っていないし、久し振りにユックリ街を歩きたい・・・、という積年の思いも有り。
 いつも行きたい行きたい、と騒いでいるものの、なかなか簡単に再訪出来ないでいました。

 キッカケ(=スリランカの友)とは、こんな風に突然現れるものなのかなぁ、と思いました。

スリランカの友のアパート 2011年 北京

 実は、私は海外渡航に関して、殆どがツアーや受け入れ先のアンパイで訪問していて、中国へすら、自分で全てを手配して渡航行したのは、数える程しか無いのです。

 お宿は、当初は旧い四合院を改造したホテルに興味があり、泊まってみたいと思っていましたが、今回の北京行きを決める直接の原因(?)となった、スリランカの友から、彼女の住んでいるアパートに泊まって頂戴、と申し出がありました。

 四合院ホテルも些か捨て難いけれど、今回は彼女の好意に甘えるかな・・・、と思っていたら、北京の老朋友からも連絡が入り、やはりと言うか、案の定と言うか、てぐすね引いて待ち構えているという表現がピッタリ。

 結局、彼女のアパートにも1泊させて頂きましたが、基本的には、北京の老朋友が持っているアパート(の一つ)に宿泊。
 因みに、その住居がどんなに瀟洒だかは、『玉手箱』の第36回~辺りを参照してみて下さい。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2011.4.2 に掲載されたものを転載しています)

第六十回 パスポート 4

北京
04 /02 2019
北京の空港 1991年

 二代目のパスポートがあと数ヶ月で失効するという丁度その頃、北京大学で過ごした留学期間が終わろうとしていました。
 二度目の領事部訪問です。

 三代目のパスポートを、私は北京で申請作成したのでした。
有効のパスポートを提出することで、戸籍謄本の提出が不要ということ、そして作成手数料が日本より安い?というのが理由でした。
当時の申請料420元也。

 特に90年代以降、日本の旅券は偽造妨止の為にさまざまな技術が開発されたようです。
 これも又、海外渡航がもはや特殊な行為でなくなったこと、日本人のパスポートがいかに犯罪に悪用される率が高いか、ということの現れでしょうか。

 三代目のパスポートを申請した頃、日本では既に顔写真がカラー印刷のように紙面に平らかに、加工を施して刷り込まれるという技術が導入されていました。

 しかし、現在の北京の総領事館は知りませんが、当時はその技術が無く、発給された私のパスポートには、写真の上に透明のラミネートシールを頁に合わせて貼り付けただけ(!)というものが出来てきたのです。

歴代のパスポートたち。右手前の黒い線がわざわざ訂正して貰った部分。左手前の書類は、北京で更新した時の受取り証。

 これじゃあいくらでも簡単に偽造出来そう。
 昔のパスポートの写真だって、ラミネートシールを貼った上に、押した後の紙面がデコボコする印章が押されていたのに。

 いよいよ二年間の留学期間を終え、私はこの非常にニセモノ臭いパスポートを携えて、初めて日本へ入国しました。

 入国審査の時、私は愛想笑いを浮かべておどけて言いました。「この写真の頁、ニセモノっぽいですよねぇ、アハハ」

北京の空港 2005年

 するとカウンターの向こうの税関職員氏はそんな私をジロリと一瞥して一言。「見れば判りますから」

 あ、そうですか。
 どうやら私みたいな面構えでは到底スパイとか、大それたことは出来ないらしいです。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2009.5.15 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情