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第四十回 北京住宅変遷記~M氏の場合~5

北京
09 /24 2018
外観の色使いも、カラフルで可愛らしくなって来た、北京のアパート。 2005年 北京

 旧知の友人、M氏の住居の変遷を中心に、簡単に述べて来ました。

 参考に、2、3軒目のマンション購入費用を記しておきます。

 2軒目:32万元(敷地内の駐車場代込・面積130平米)
 3軒目:50万元(マンション地下の駐車場代込・面積40平米)

 3軒目の方が、面積は3分の1でも価格は倍近いのは、市中心により近い為、ということでしょうか。
 見た感じでは、投資目的のみでマンション価格が月単位で倍加し、住人が存在しない建物群は、北京では未だ、上海のそれには及ばなそうです。しかし、これからの数年で事情に変化が見られるかも知れません。

 立ち退きや、マンションの購入、都市計画には、それに伴う政策や税制など、色々複雑な背景が絡むでしょうが、法制は、その土地その時によって異なるし、それが良いのか悪いのかは、ここで触れることではありません。

 北京という都市が発展を遂げる渦中で、共に変わってゆく市民生活の一例としてここで紹介出来ましたのは、たまたま一つの家庭を、友情にも恵まれて20年もの歳月で追うことが出来た、時の産物と思っています。

 M氏夫妻は現在、各々が車で動いていますが、自家用車の普及率も近年、著しく上昇しています。そう言えば中国の風物詩たる、自転車の数も、大分減りました。
 高速道路、環状道路、バスや地下鉄、電車の路線等に見られる交通網の拡大。それらは皆、北京市民の生活圏が外へ外へと広がっていくのに比例しているのが、看て取れます。

 人びとの行動範囲が広がれば、環境も変わります。日本も、かつて同じような道を歩んだに違いありません。大気汚染や交通事故の増加、果ては子供の教育問題や老人福祉等々、思いがけない分野での、新たな問題が生まれてくるのは必至でしょう。

M氏宅のあった四合院の門。こうした一般住宅は、住人が出入りする時以外は閉門していて、用が無ければ入り難い。 1992年 北京

 開発の名のもとに、昔のたたずまいがどんどん失われる中、一方で歴史ある四合院をレストランや宿泊施設に改装して利用されているのが、今北京ではちょっとした流行になっています。
 そして2004年には、四合院を個人が購入、保護することを奨励する政策が打ち出されています。
 改築には細かい規制があるものの、既に数十軒の四合院が破壊から免れているそうで、旧い建物を見るのが好きな私としては、どんな形でも昔のものが保存されるのは嬉しい限りです。

 都市とは、常に変わっていくものらしいことは、既に明らかなこと。でも、建物と施設だけで都市が形成されるものでもありません。ヒトとヒトの情も含んだ、あらゆるものの新旧調和とバランス、これが住人や訪れる人たちを魅了する都市の課題、ではないでしょうか。


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2006.12.10 に掲載されたものを転載しています)
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第三十八回 北京住宅変遷記~M氏の場合~3

北京
09 /11 2018
3軒目の家の見取り図。 title=

 中国で販売されているマンションは、水道や電気の栓と、バス、トイレ部分のスペースが定まっている以外、中身が空っぽであることが普通です。
 最近では内装も家具も全て揃っていくら、のタイプも出回っているようですが、まだまだ内装は自前で、というのが主流。しかも、職場から与えられる昔ながらのアパートならば、せいぜいがバルコニーに窓を張りめぐらせてもう一部屋増やすくらいでしたが、今は違います。
 インテリア関連の書籍が、日本より充実しているように見えるのは、恐らくそのためでしょうし、内装や家具に凝るのは、それだけ世の中が豊かになった証拠でしょう。建材を扱うお店でも、色々揃うらしいのです。

 北京東駅を間近に臨むM氏の3軒目のお宅へは、2004年に内装工事が完了し、住み始めて間もない頃にお邪魔しました。

 24時間体制の門番とオートロックの入り口で、外部の者が誰でも侵入出来ないような構造も、北京ではもはや珍しくはないようです。

3軒目の家の和室。棚の姉様人形は、何と私が高校生の頃、M氏に贈ったもの。 2005年 北京

 エレベータで上階へ上がる際、昔は箱の中で椅子に座って編物などをしながらボタンを押してくれるオバチャンがいて、停電で使用停止になることもしょっちゅうだったけれど、そんな姿ももう見られなくなって久しいなあ・・・などと考えていたらアレレ?確か26階のはずだったのに、着いてみると廊下の表示が29階になっていました。??
 このややこしい階表示は、中国語で「四」が「死」と通じる音なので、4の階が設定されていないことから生じているのです。風水を重んじ、意外と?迷信深い中国人の考え方が反映されていて、面白いです。現実的には、エレベータのボタン部分を住人が迷わないように、設定階と実際の階が併記されていました。

 それではイザ、お宅拝見。ワンルームの部屋をここまで改築出来るのか、しばしここが北京であるのを忘れてしまうような空間がそこには広がっていました。
 キッチンはオープン。フローリング床のリビングに、バス、トイレ、そして和室の組み合わせ。

 この瀟洒な住まいを、配線を何も全てをM氏自らが設計、指示をし、材料も吟味して調達。それでも素人だというのですから、本当に驚きです。
           

 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2006.11.4 に掲載されたものを転載しています)

第三十七回 北京住宅変遷記~M氏の場合~2

北京
09 /10 2018
2軒目の家のリビング。平素仕事に追われて忙しい2人らしく寛ぎ重視。(M氏撮影)

   2005年当時、M氏は3軒の部屋を購入、所有していました。証券の儲けでなのかは、私の関知することではありませんが、とにかくヤタラと羽振りがよろしい。しかし後から買うにしたがって、家が市中心に近付いているのは、これ又「Uターン現象」だと言えるのでしょうか・・・。

 私は写真でしか見たことがありませんが、他人に貸している1軒目のお宅は、北京郊外に建っています。

 北京から天津方面に高速道路を少し行った所にある、2軒目のお宅と北京市中心にごく近い複合都市計画の一角を占める3軒目のお宅を、愛犬と共に好きな時に好きな方で過ごすという優雅な生活を、M氏夫妻は現在送っています。何とも羨ましい話です。

 2軒目のお宅へは、2002年に北京を訪れた際、一度連れて行って頂いたことがあります。
 マンション群と、住民が憩う公園、簡単な買い物が出来る商店が敷地内に備わった、郊外型の集合住宅。高速道路の利用にも便利な立地に建つ、2軒目のお宅は130平米、2LDKの間取りでした。

 よく、テレビで有名人のお宅拝見といった番組を見ると、生活感がまるで無く、本当に使っているのか疑わしいものに出くわします。確かにM氏宅も、私がこれ迄に見てきた中国の一般的な家庭に比べると、差があり過ぎる程に整っている類ではあります。
 しかし、例えば厨房で言えば、実際調理の場面を見なくとも、ここは紛れも無く生活の場として根ざしていることが、私には判りました。

.2軒目の家の厨房。食器洗浄機やオーブン、レンジを目線の高さに合わせて設置。下のスペースを有効利用。真中のオーブン(SANYO製)、四合院の台所にもある。 2002年 北京

 主にドイツ製のツールでまとめられたシステムキッチンは、大変スッキリ。目線の高さに合わせて食器洗浄機やオーブンが据えられ、下部空間を有効に使う為の工夫が施されていました。
 そこに最初に彼らが住んでいた四合院の部屋で使われていたオーブンが納められていたのは、後日昔の写真を見比べていて気付いたことです。この日本製オーブンは、優に10年以上使われている筈。聞けば2005年の時点でも健在とのことで、今度は逆に驚きです。

 少なくとも大都市において、中国でも大量消費の時代に入っていると言える昨今、このようなモノを大事にする心意気を見ると、なんだかとても嬉しくなってしまうのでした。


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2006.10.21 に掲載されたものを転載しています)

第三十六回 北京住宅変遷記~M氏の場合~1

北京
09 /09 2018
M氏が住んでいた、四合院内部。ここも何家族かが一つの四合院に暮らしていた。 1992年 北京

 2005年2月末に、約3年ぶりで北京を訪れました。

 現地に駐在している知人などからも伝え聞いて判ってはいたものの、やはり直接目の当りにすると、その都市の変貌振りには、驚きと遺憾の意は隠せませんでした。
 10年前には無かった道も多く、主要道路の道幅は拡張されていました。以前は人が住んでいなかったような場所にもマンションが建ち、市中心部に昔から住んでいた人々の移住計画も、どんどん進んでいるようです。

 そんな中、やはり3年ぶりに再会した中国の友人M氏は、前述の通り、時代の流れ甚だしい北京に住まう若い世代の典型、と私自身は位置付けています。つぶさに、とはとても言えませんが、20年来の付き合いで、自分なりに彼らを観察しての印象です。
 彼らの経歴と同様に、その住まいもかなりの変遷を経ていることから、私が実際に家庭訪問したレポートを、しばらくお届けしたいと思います。

 M氏夫妻のお宅を初めて訪れたのは、1991年は国慶節(10月1日)の頃だったと記憶しています。
 彼らが教鞭を執っていた学校から歩いて数分、買い物客で賑わう繁華街・西単(シーダン)のすぐ裏、という好立地に建つ四合院の一室でした。
 清の時代には、この辺は貴族や高級官僚などが住まう地区だったそうで、夫妻のお宅も、そうした建物の一つだったと聞きました。

 四合院は、本来は中庭を囲むようにして家屋が配され、一族が家族単位などで各部屋にそれぞれ住まうものでした。
 新中国成立以後は、計画経済に則り、国や職場が住居を分配する方式となった為、伝統的な四合院の多くは長屋式に区切られ、全く異なる数家族が共同で住むようになったのです。

 私が初めて訪れたM氏宅も、この分配方式で供給された部屋でした。他の住民の部屋を覗く機会はありませんでしたが、M氏のお宅には、机、ベッド、箪笥、テレビ、冷蔵庫、・・・と大概の必需品は揃っていて、私が言うのも何ですが、狭い空間で上手に暮らしていました。

料理中の奥様。美味しいものを作るのに、広さや道具など大きな問題でないことが、よく分る。 1992年 北京

 しかしこの四合院を含む一帯は、90年代半ばから急速に進んだ区画整理により、残念ながら立ち退きを余儀なくされてしまいました。
 日本と違い、中国の立ち退き処理は大変迅速です。つい三日前まで人が住んでいた家が瓦礫の山と化すのは、中国ではそう珍しいことではありません。
 M氏によると、彼らに対する立退き料は1平米辺り、2,100元(当時1元約18円位か)。支給された立退き料は、新しい家を買う足しにしても良し、貯金しても良し、でどう使おうと自由だったそうです。
 こうしてM氏夫妻も、周辺の住民も皆移住して行きました。

 彼らが住まっていた界隈は、私が2002年に北京を訪れた折は、整地中で一部立ち入り禁止となっていました。2005年には、わざわざ車で通ってみましたが、やはり何の面影も残っていませんでした。

 古都の裏通りらしいのどかな風情も、ガラスと鉄筋の建物に占拠されて、今はもうありません。


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2006.9.30 に掲載されたものを転載しています)

第二十六回 煎餅

北京
08 /29 2018
典型的な煎餅の屋台。コンパクト、且つシンプル、機動的。 2002年 北京

 このタイトル、「せんべい」と読むか否か。
 ここでは中国語で「ジェンビン」と読んで頂きたい。

 字は同じでも、中国のそれは小麦粉を溶いて薄く焼いた生地の中に辛味噌、卵、葱、香菜、油でパリパリに揚げた油餅(ヨウビン)などを折りこんだ食べ物。中国風クレープ、と説明している料理本もあります。

 北京大学に留学していた後半期の毎週月曜日は「按摩の日」と決まっていました。学生の分際で何がアンマだ、と思われるかも知れませんが、当時重度の腱鞘炎にかかり、その治療に通っていたものです。

.ジエンピンにはさむ油餅を揚げている。

 治療を終えた帰りにバスに乗る所を2駅分ほど歩き、人民大学周辺の屋台で煎餅・ジェンビンを買ってパクつきながら露店を冷やかし、乗り合いバスを拾って大学へ戻る、というのが週課となっていました。
 このように煎餅は私にとって「按摩の日」を締めくくる食べ物だったのです。

 意外に思われるかも知れませんが、外で売っている食べ物を何でもかんでも試しに買って食べてみるということをあまりしない私としては、煎餅は珍しい存在。
 そんなこともあり、北京時代から9年の時を経て北京を再訪した時も、やはり食べたいものに、煎餅は挙がっていました。

 けれども周囲からの情報によると、煎餅の屋台は、最近あまり見かけなくなった、という声もあり、心配しておりました。
 街がキレイになり過ぎて、昔ながらの屋台文化も淘汰されてしまったのでは、と危惧しておりましたので、再訪の折も以前と同じスタイルの煎餅屋台を見付けた時は、本当に嬉しかったです。

 自転車の荷台の上に、簡単にガラス張りのブースで囲った小さな空間。そこで焼かれる煎餅は、生地のモチモチ感と、油餅のパリパリ感、辛味噌と香菜と葱の香りを卵で包み込んだ味のハーモ二ィとが混ざり合って、中国式ファーストフード万歳!なのです。

クレープに卵を落とし、ソースを塗って具を挟んで出来上がり。 2005年 北京

 日本の焼きイモ屋と同じく、夏は暑さのせいか、煎餅の屋台はどうやらお休みが多いようですが、2005年の冬にニューバージョンの煎餅屋台を発見しました。
 ピザ屋(因みに北京では必勝客・ピザハットが1992年には既に進出していました)にヒントを得たのか、トッピングを選べる煎餅屋台が、そこにはありました。

 屋台を営んでいるのは若いカップル。若者への受けを狙ってなのか、アイデアで勝負、の新しい屋台もツイほほ笑ましく眺めてしまう私なのでした。

トッピングが楽しめる、新スタイルの煎餅屋台。 2005年 北京


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2006.3.10 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情

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