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第五十九回 パスポート 3

中国
04 /01 2019
平壌にて。新年を祝う人々。1992年

 日本のお役所だって似たようなものかも知れませんが、中国においても、大抵の物事を一度で済ませようという考え方自体が、そもそも間違っていると認識した方が宜しい。

 朝一番で行っても担当者が席を外している、なんてカワイイものです。書類の棚の鍵を持った人が来ないと話が始まらない、どころか出勤時間になっても何故か来ない、食事に出ている・・・等々。
 数度の門前払いや、やり直しをさせられることを予め考慮した方が、却ってイライラしなくて済むかも知れません。
 となると、日数もかかる筈。兎も角、時間も交通費も諸々含めた精神的物質的に費やす消耗を想像するだに、そんな面倒こそを避けたい、という訳です。
 お陰で(?)私はその方面の失敗をせずに済みましたが、それでも在北京日本大使館領事部には、二度ほどお世話になりました。

 一度目は、北朝鮮旅行へ行く前のこと。
 北朝鮮は、中国の旅行社が主催した、北京在住の日本人を対象としたツアー旅行に留学仲間と一緒に参加したものでした。北京発の日本人向け北朝鮮ツアーは、恐らくはこの時のものが初めての試みだったかと思います。

 しかも現在より情報も関連本も少なく、より厚い謎のベールに包まれていた北朝鮮。
 私たちが普通の旅行に出かけるよりも、多少興奮気味だったのはご理解頂けるのではないでしょうか。

 当時、日本のパスポートには「渡航先」という頁がありました。
 そこには英語で以下のように記されていました。

 This passport is valid for all countries and areas except North Korea ...

 「北朝鮮以外の国」。

 実際はそんな表記があったからって入国を拒否されることはない、と後で大使館の方には言われましたが、大使館にパスポートを持参したらこの記載分を消してもらえるらしい、と聞いたので、見学ついでに初めて領事部の門をくぐったのでした。

 殆ど無理矢理の、記念訪問のようなものでした。

 ・・・ヒマといいますか、単なる物好きだというお話です。

平壌にて。1992年


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2009.3.17 に掲載されたものを転載しています)
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第五十八回 パスポート 2

中国
03 /31 2019
初めての上海 1985年

 自分が初めてパスポートを所持した時は、確かに自分が次に海外へ行かれるようになるのは一体いつのことになるやら、と思っていました。

 が、その後バブルだの円高だの、と海外旅行ブームを促すような状況が続き、時代の流れが急速に変ったのです。

 私の二代目のパスポートは、大学1年の時に母に連れられて行った、ヨーロッパ旅行の為に作成したものです。

 その欧州旅行を皮切りに、大学時代は卒業を控えた年を除いて、クリスマス時期を日本で過ごしたことが無い、というのが私の密かなる自己満足でありました。思えば良い時代に突入したものです。

 欧州の他に、初めての北京短期留学、初めてのオーストラリア大陸、香港、台湾・・・、と当たり前ながら初めてづくしの渡航記録が記されていったのでした。

 北京大学在学も、この二代目パスポートを携行してのことでした。

 海外渡航者にとって、パスポートは大事な身分証明書。失ったりしたら大変、というのは当たり前の話。

 でも、もし中国で紛失なぞしでかしたら、中国なだけに輪をかけて面倒なのは判りきっている話でした。

 もし、パスポートを中国で紛失したら。

 まずは派出所へ出向いて、紛失したという事実の証明書をもらう。
 所管の公安局へ出頭して、旅券の紛失証明をもらう。
 日本大使館領事部か総領事館へ出向いて、書類提出。

 こうして初めて紛失した旅券を失効させることが出来るのだそうです。

 旅券再発行には、まだ手続きが必要です。聞いただけで面倒臭い。
 やっぱり失くさないに限るのです・・・。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2009.1.6 に掲載されたものを転載しています)

第五十七回 パスポート 1

中国
03 /30 2019
初めての北京 1985年

 最近、パスポートを更新しました。
 自分にとって、これで何代目になるのか、色も大きさもかなり変化している、日本のパスポートです。

 初めて取得したのは、勿論自分にとって初めての外国・中国へ行く為に作ったものです。
 一回の渡航に限り有効、という今は無き「一次旅券」でした。当時、子供どころか大人だって海外渡航はまだ相当に珍しいことだったように思います。

 旅券作成の手数料は自費だったけれど、東京都の事業で友好使節団としての渡航でしたから、中に添付する写真は東京都側で団員の分をまとめて撮影してくれました。

 団員である我々は全員高校生でしたから、制服姿での撮影です。ただ、男子で制服が詰襟の子は、上着を脱いでの撮影でした。

 なんとも信じられないような話ですが、「中国側に軍人(!旧帝国海軍か?)と誤解されてしまう恐れがあるから」と引率の先生方から説明があったのを確かに憶えています。

 ?日本に未成年の軍人は存在しないけれどねぇ・・・。まぁ、入国審査の際に、万一色々詰問されたりすると面倒だし、お国が違うと考え方もどうか、といったところでしょうか。

 お互いを解らない同士が交わろうというのですから、当たらず障らず、余計な事が起きないように、というのがお役所的と批判されるでしょうか。

 文化大革命という10余年にも渡る動乱が終焉を迎え、外国人との接触すら制限のあった、当時の中国の社会的背景を大人たちなりに考慮してのことだったのかも知れません。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2008.10.22 に掲載されたものを転載しています)

第五十三回  春節 民族大移動 2

中国
03 /24 2019
恭賀新禧!! 1992 雲南

 北京時代、春節に雲南省を訪れたことがあります。
大学が主催する旅行団に参加していた私は、数人の有志と共に途中で離団、更に奥地を目指す旅に出ました。
 何せ休みは一月もあるのです。折角こんな遠くまでやって来たのだから、この機を逃すテはありません。

 その折、省都・昆明から西双版納(シーサンパンナ)へ移動するのに当初飛行機で、と考えていた所、チケットは当然ながらソールド・アウト。当時は未だ鉄路は無かった時代で、やむなくワゴン車をチャーターし、片道一泊二日で目的地に向かったのでした。

 昆明から西双版納までは、飛行機で行けば1時間ですが、車ではグネグネとした山道を、幾つも越えて行かねばなりません。

 一日では到底行き着かないので、途中見知らぬ田舎町で一泊。
 何があるという所でもなし、と夜は早めに床に就くと、何やら表が騒がしい。何事かと出てみると、新年を祝う行列が出発するところでした。

貝の精になって。1992 雲南

 間違い無く手作りの衣装や小道具で、老若入り混じっての行列は、とても活き活きとして見えました。観光向けの人寄せ的なものと違い、中にはくわえ煙草のまま参列しているおじさんもいたりで、気取らない様が却って自然でした。

 町の人々が皆で新しい年を祝う素朴さに、住民らの手作りらしさがあって、良いものを見ることが出来ました。

祭りの風景 その3

祭りの風景 その7


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2008.2.14 に掲載されたものを転載しています)

第五十二回  春節 民族大移動 1

中国
03 /22 2019
民族大移動の出発地点、北京駅の構内。1989 北京

 日本では暮れもお正月も済んだばかりの頃、上海に駐在している友人が言いました。

 「これから旧正月まで約1ヶ月、いよいよ年末。日本式の新年会と、中国式の忘年会の時期になります」。

 何だかヘンな感覚、と日本人の彼は言いますが、私にしてみれば、お正月が2回も迎えられてメデタイじゃないの、です。

 しかもこの春節期間は、およそ一ヶ月は全国的にお休みモード。駐在員も多少はその「恩恵」に浴せる筈です。
 本国への一時帰国で羽を伸ばすのもよし、中国から海外旅行へ、というリッチな体験も可能です。
 尤もビジネス上では、中国側の担当者がつかまりにくいなどの不便さも、ある程度認識しておかねばなりませんが・・・。

 春節は、それだけ中国の人々が一年で最も楽しみにしているお休みなのです。
 学生も「春暇」という長期休暇になりますし、会社や工場等、都会に働きに出ている者も、多くは帰省して家族と共に新年を祝うので、文字通り民族大移動となります。

大量のみやげを天びん担ぎで。 1995年 上海

 勿論都会でも、例えば北京では、廟会(ミャオフイ)という縁日が街中で何箇所も出て、屋台、見世物小屋・・・、と昔の雰囲気を味わうことが出来ます。

 そういう訳で、私たちがウッカリこの時期に中国への自由旅行を計画すると、宿や交通手段の確保に難儀するなど、何らかの影響を受けること必至です。
 しかしその反面、普段では見られないようなシーンを目にするかも、という楽しみもある、ということなのです。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2008.2.3 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情