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第三十四回 ストロー 2

中国
09 /07 2018
左の白いヒモのようなものが、紙製ストロー。となりの短いのが爪楊枝。ティーバック、王冠も全て1985年に持ち帰ったもの。

 中国の紙製ストローは、それ以前は不明ながら、1980年代の訪中経験者は、見たことがおありだと思います。私もその内の一人な訳です。

 紙製といっても、ロウか何かで表面をコーティングしてあるらしく、一応液体にすぐさま溶けてしまうものではありませんでしたが、それでもやはり、紙は紙。ストローを挿したまま暫く置いておくと、水分を含んだ先端部分が縮まり、管が塞がれてしまうのです。
 そうなると、口元でいくら力を入れても、ジュースはなかなか吸い上がって来ない。

 最初は紙製だと気付かず、一生懸命口をすぼませていた私は一体、愛すべき奴なのか、単に間抜けな奴なのか・・・・・。

 サッサと飲んでしまえばこんなことも無いのでしょうが、結局どうするのかなあ、と他の中国人の所作を見ていますと、傍らに用意してある、別の新しいストローを挿していました。ストローのお代わり、です。
 ポリプロピレン製のストローを当然としていた私には、一寸した驚きでした。

 紙製のストローがあまりに珍しくて、この時何本かの現物を日本に持ち帰ったものが、今も我が家の何処かに眠っているはずです。

 この紙製ストローは、1989年に私が短期留学で再訪中した際にも未だ現役でした。しかし、1990年代初頭に長期留学で滞在した北京には、既に無かったように思います。

 その後、日本における紙製ストローの話を採取しようと、少し年配の方にも伺ってみたのですが、今の所、記憶に留めておられる方はいらっしゃいません。
 もしかしたら、紙製ストローは、中国オリジナルなのかも。

 どなたか日本もしくは中国その他の国のストローの歴史について、ご存知の方がいらしたら、ご教示願ってみたいところです。


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2006.8.26 に掲載されたものを転載しています)
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第二十四回 春節・爆竹

中国
08 /27 2018
盛大に、何発もの爆竹に火を点じる。 1992年 雲南 昆明

 中国の伝統行事は、旧暦に従って行われるのが主流です。
 日本でも旧暦で雛祭りをする地方があったり、旧盆の習慣があるように、中国も二十四節気(旧暦で云う、季節の区分。大寒や立秋もその一部)が現在でも人々の生活習慣に密着し、根付いています。

 例えば新暦の1月1日は、ただの休日で中国ではそんなに盛り上がりません。
 中国でお正月と云えば、旧正月、すなわち春節のことを指します。人びとが一年で最も楽しみにしているお祝いのシーズン。ここから彼らの新年は始まるのです。

 家の門におめでたい絵や文字の書かれた春聯や年画を貼り、爆竹を鳴らして、家族揃って正月番組をTVで楽しむ・・・というのが、典型的な中国のお正月スタイル。

 ここ10年ばかりは保安上の理由から、特に都会で爆竹を鳴らすことが、原則禁止されていました。ところが最近法律が改正され、条件付きながら爆竹が「解禁」になったのは、人々の春節ムードを盛り上げる一助になるのではないでしょうか。
 「解禁」は、2005年12月から施行されています。

 となると、又アレが復活するのか、と個人的には思わなくもありませんが・・・。

爆竹に関する警察のポスター 2005年 北京

 1992年の春節を、私は雲南は昆明で迎えていました。
 晦日にもなると、暗くなるのが待ちきれないかのように、町のあちこちで爆竹に火が点じられます。
 竿の先に長く垂らした爆竹が派手に鳴り響くのを、近所の人びとが取り巻いて見ています。賑やかな音で新年の幕開けを皆で祝うのです。

 しかし。祝うのは構わないのですが、特にこの日の夜歩きには気を付けないといけません。なぜなら、地上だけでなく空からも何が降って来るか分かりませんから。
 マンションのバルコニーから爆竹や、あろうことかロケット花火がシューッと飛び出す「奇襲」に見舞われたりして、結構危ないのです。・・・尤も今回の条例では、バルコニーや屋上で花火を発射したり、階下へ投げ落とす(!)ことは当然禁止となっていますが・・・。

 兎も角、晦日の晩は、本当に夜中じゅうどこかでバンバン鳴っていて、寝ていても爆音が耳に纏わりついたものです。
 初めての経験に、幸い行ったことはありませんが、戦場てこんなかな、と思いました。


・・・以下続く。

(※ 註:この記事は 2006.2.12 に掲載されたものを転載しています)

第十八回 チケット

中国
08 /21 2018
サザン北京公演のポスター。「サザン・オールスターズ=南天群星」 そのマンマ。 1992年 北京

 ミュージカル『チンギス・ハーン』を観た年は、日中国交正常化20周年で、北京では沢山の交流行事が開催されました。

 その流れに乗じて、私も色々な催しを観に行きました。日本からも、松山バレエ団の『くるみ割り人形』や、劇団四季の『李香蘭』、サザンオールスターズのコンサート等々、一流の芸能を観る機会が目白押しでした。

 サザンのコンサートチケットを連絡事務所に買いに行った所、特典で特大のコンサート用のポスターとオリジナルTシャツを呉れました。
 ポスターはファンだと云う知人に差し上げてしまいましたが、多分Tシャツは未使用のまま自宅に遺っています。これってプレミアム付くか知らん・・・。

 チケット購入の方法も、昔と今では大分変化を遂げました。現地に駐在している友人の話を聞きますと、本当に驚きます。
 昔は、前述のように公演事務所や劇場窓口などへ赴いての、直接購入が普通だったかと思います。情報も、新聞や日本人会の会報あたりが、せいぜいの情報源。
 対して今や、日本人向けにチケットの取次ぎをする業者が複数存在し、インターネットや電話で予約が可能。希望すればオフィスや自宅まで配達までしてくれるというのです。
 座席はコンピュータ管理されていて、空き状況も即座に判明、というのが当たり前。情報源は、TVの芸能情報番組、広告を載せたラッピング・バス、と手段も様々です。
 その他日英韓各国語版でフリーペーパーが何誌もあり、各種イベント、レストラン情報の取得に苦労は無いというのは、北京でも上海でも、同じなようです。

 さて、話が『チンギス・ハーン』に戻りますが、もう一つ忘れられない思い出として、その時私の席隣に座られたのが、何と愛新覚羅顕琦さん(「男装の麗人」として有名な川島芳子さんの実妹。著書に『清朝の王女に生まれて』)。歴史ファンの一人として、その偶然はとても嬉しいものでした。

バレエ『くるみ割り人形』フィナーレ。中央は森下洋子、清水哲太郎のハズ。 1992年 北京

 因みに私がその日座っていたのは、忘れもしない7列目の1番。7列目の中央です。チケットを購入しに行った時、一つも席が埋まっておらず「何処でもいいヨ」と言われました。じゃあ一番良い席にして頂戴、と貰った席でした。

 中国の座席の番号は、日本のそれよりも大変判り易くていいな、と思います。真中が1で、左右に2、3、と交互に定められています。劇場の大小に関わらず、番号が若いほどセンターに近いことが判るので、席の位置を知る目安になります。席に着く時も、単号(奇数)と双号(偶数)で左右の入り口が分かれているので、合理的。
 この席番号の付け方は、日本にも導入してはどうか、とずっと思っているのですが、未だ見たことはありません。


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2005.1218 に掲載されたものを転載しています)

第十六回 フラワーギフト 1 

中国
08 /18 2018
自転車の花売り。竹筒に花を挿して、如何にも中国。でもこの頃、北京にはこういうのすら無くなっていた。 1993年 四川

 花を贈られれば、女性なら誰でも嬉しいものでしょう。

 花の種類(菊は葬式を連想させる花だから×とか)などに注意すれば、大体において、万国共通無難にして喜ばれるギフトではないかと思います。

 中国でも花を贈るのは、もはやそう珍しいことでもないようです。クリスマスやバレンタインには男性が女性に花を贈るので、大量の生花が消費されると云います。
 高級レストランやホテルでは出入りの花屋や、専門部署が花のディスプレーを受け持っているとのことですし、上海では、日本人のフローリストが活躍なさっているという記事を読んだことがあります。

 それでも90年代初めの中国では、生花をギフト用に入手するのは、まだ一般的ではありませんでした。
 まず花屋という店舗自体が見当たらない。外資系ホテルのアーケードにもあったかな、という感じでした。

 しかし一般市民の間に、伝統的な盆栽や、鉢植えを育てているお宅は勿論ありましたから、当時の人びとの生活が花や緑に無縁な生活だった、というのでもありません。又、祝日などには街角に「草花芸術」が登場します。その園芸装飾技術(?)は、感心に値するものです。

作家、老舎の故居の中庭。自然を愛する家人の気持ちが伝わってくる。現在は紀念館として整備されている為、かっての面影は無い。 1993年 北京

 切り花を活けて楽しんだり恋人や家族に贈ったりという、西洋風の生活パターンが定着したこと、生花を栽培出荷する技術や輸送経路の発達が、この十余年間にもたらした変化、と言うことが出来るでしょう。

 北京や上海に在住の知人によりますと、現在では病院の近くに、患者へのお見舞い用に花屋が軒を連ねているのを見ることが出来るそうです。因みに昔は、見栄え良く籠に盛った果物が、最も気の利いた見舞い品でした。

 市民にとって今でも一般的なのは、小売りの花屋よりも、花卉を扱う卸売市場(同じ敷地内に、ペット用の魚や、鳥なども商うテナントが一緒になって「花鳥市場」なるものも存在します)で、そこで花を求める人が多いようです。


・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2005年12月に に掲載されたものを転載しています)

第十二回 エコロジー 1 

中国
08 /11 2018
四川のよろず屋 町のよろず屋。店の左の柱には有料の手さげ袋と網兜儿が見える。 1993年 四川・成都

 通常の会話や文章に、ヤタラと横文字を使うこと抵抗を感じる方も多くいらっしゃるでしょうが、さすがに「エコロジー」は、既に定着した横文字の一つではないでしょうか。

 生態学、よりは自然環境保護運動、の方が一般的には認識度の高い意味かと思われます。
 最近、日本ではスーパー等で買った物を入れてくれる手提げビニール袋を有料に、の動きが出ています。既に自主的にそうしている所もあるようで、それこそエコロジーの観点から法制化も含め、今後この動きはより活発化するのでしょう。

 袋の持参は、面倒だけれど仕方が無い。でも慣れればそんなにどうってこと無い。
 TVで関連の街頭インタビューを見ていると、袋持参を実行されている方の大体は、このような意見でした。
 編集の都合で省かれたのかも知れませんが、どなたからも「昔に返るだけ」の声は聞かれませんでした。当たり前過ぎる極論だからでしょうか。

 中国では、昔は袋の有料が当たり前でした。
 私が北京大学に在籍していた折には、買い物用で自室に網兜児(ワンドー)という、網目状の袋をぶら下げていました。日本では、スイカを入れるのに使われるかな、というものですが、これは網み目が伸びて、かなり大きな物も入るので便利です。
 とにかく、買い物には袋持参で。これが普通の感覚でした。

 ある時、自転車で通りがかった露店で持参の袋に品物が入りきらず、その分を店のビニール袋に入れて貰ったのですが、帰り道でのこと。

北戴河の干物市場 いかにも薄そうなビニール袋。 1993年 北戴河

 ハンドルにぶら下げたリンゴ入りビニール袋の手提げ部分が、その重さでみるみる伸びてくる!すぐに自転車を止められない車道だったので、焦るアセる。
 「わー!待ってー!」叫びながら減速したものの、結局は間に合わず、自転車を降りるか否かの差で、哀れ袋はぶち切れ、ドンッ(=中味が落ちた音)、ゴロゴロ・・・とリンゴは方々に転がって行きましたとさ。

 有料のクセに、薄くて重さに耐えられないような袋。それでも文句を言った所で、どうせどうにかなる訳で無し。しかも、こういう時に限って中身がネギやほうれん草でないのが、ミソ。
 一寸恥ずかしく、してやられたような、泣き笑いの秋の空、でした。


 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2005.10.19 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情

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