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第四十五回 歌舞音曲紀行・Peking☆violin

音楽・演劇 等
03 /08 2019
別に建物に合わせて服をコーディネイトしたわけではないだろうけれど・・・・。 2005年7月 北京 鼓楼

 中国初渡航から数えて丁度20年目の夏、偶然にも勤務している会社から、中国研修を言い渡されました。

 夏の中国は、本当に久し振り。ついでに長期滞在も久し振りで、半分は仕事でしたが、個人的には記念の年に、良い機会に恵まれたことになります。

 しかし、やはり一応公用での渡航ですから、そう自由に振舞うことは出来ません。
 と言いますか、中国人はもてなすのが上手なので、招いた客への心配りも素晴らしく、上げ膳据え膳。我々を不自由、退屈をさせないよう日曜日も返上して、受け入れ先の公司からは人が出て来て、私たちを色々案内して下さったのでした。

 そんな中で訪れた、北京の鼓楼。
 名前の通り、かつては時を告げる為に大きな太鼓が打ち鳴らされた施設で、現在は昔の太鼓の展示や、観光用に太鼓ショウが行われています。
 又、楼上から一望出来る北京市街の眺めも、この楼を登る人にはご馳走です。

 時間に間に合って太鼓ショウを鑑賞した後ベランに出ると、子供が一人でヴァイオリンを弾いていました。
 太鼓の後にヴァイオリン、という突然の組み合わせを不思議に思っていると、子供のお母さんがやって来ました。子供は、太鼓ショウに出演している奏者のお子さんだったのです。
 日曜日なのに両親共仕事で家に居ないので、一人で留守番をさせるよりは、と母親の職場に連れて来ていたようです。

母親が仕事(鼓楼の太鼓スタッフ)の合間に、子供のバイオリン曲をおさらいして弾いてみせてる。 2005年7月 北京 鼓楼

 どうしてこんな所でヴァイオリンを弾いているのか、と聞きましたら、翌週にヴァイオリンの進級テストを控えているので、とのこと。練習をサボらないよう、監視の意味を含んでいたかも知れません。親の職場に子供を連れて来たり、しかも「鳴り物」持参なんて、日本ではなかなか出来ないことですし、中国の教育熱が伺える場面ではありました。

 次の太鼓ショウまでの時間を利用して、今度は母親がヴァイオリンを手に取りました。一休みの子供に代わり、進級テストの課題曲を母親がおさらいしているのです。

 ちょっと印象的な、夏の午後でした。

 
 ・・・又『玉手箱』でお会いしましょう!!

(※ 註:この記事は 2007.6.18 に掲載されたものを転載しています)
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第四十四回 歌舞音曲紀行・メキシコ篇

音楽・演劇 等
03 /06 2019
シルバーアクセサリーの他マラカスも売っている。 メキシコ ティファナにて

 アメリカ西海岸に初めて行くことを決めた時、日帰りでメキシコにも行く、というコースに惹かれました。
 もう一つ余分に国を渡れて、何だか得したカンジ。

 朝に車でロサンゼルスを出発して、昼前にはメキシコ国境に到着。以前、日本との往復時間を含めて10日間でヨーロッパ5カ国を廻るという「荒行」をしたこともあります
 が、今回のように徒歩での国境越えというのは、そうありません。
 と言っても、映画やドラマなどで観る、例えば旧東西ドイツのような厳しさは無く、カウンターでパスポートを提示した後、開店扉型のゲートを一人ずつくぐるだけ。

店先でのマリンバ演奏会 メキシコ ティファナにて

 違法者も無くはないようですが、アメリカからメキシコの町へ毎日通勤している人も多いので、ここでの国境越えは、そう特別なことではないのでしょう。
 しかも、国境という特別な区域(という感覚が、少なくとも私にはあります)では当然撮影厳禁かと思いきや、アメリカ側からは撮影禁止が、メキシコ側からならばOK。
 それどころか、メキシコ側に入ってすぐの所に、あたかも撮影用にと赤、白、緑のメキシコ国境カラーで彩色された「MEXICO」の文字が建物の壁面を飾っていて、確か に自分を含む観光客が順番で記念写真を撮っていました。

 さて、そうやって入国したメキシコは、ツイ先程まで居たアメリカと雰囲気がガラリと変わって、ラテンなムードが漂っています。
 何がそんなに違うのか。日本人も比較的近親感を抱く顔付き、体型の人たち。目抜き通りに建ち並ぶ、スペイン風の建物・・・。何となく音符マーク♪が似合う陽気さが感じられます。

 昼食のレストランで、マリンバの演奏を聞かせて貰いました。
 シンプルな奏法が多い打楽器ですが、マリンバも例に漏れず。音板をたたけば演奏が可能です。
 ただ、他の打楽器に比べるとオクターブ数も多いし、マレットと呼ばれるバチを片手で複数持てば、旋律と和音を同時に奏でられるという、複雑な表現も出来るのです。

ビバ!メヒコ!!「メキシコ万歳!」 メキシコ ティファナにて

 アフリカで発祥し、奴隷と共に渡った南米と、米国で改良が加えられたマリンバは、現在メキシコのお隣、グアテマラが本場とされています。
 暑く乾いた空気に、木製楽器の温かい音がよくマッチしていました。

 短い滞在でしたが、次回はユックリと訪れたいメキシコでした。
                              
・・・次はPeking☆violin!

(※ 註:この記事は 2007.4.2 に掲載されたものを転載しています)

第四十三回 歌舞音曲紀行・ミャンマー篇

音楽・演劇 等
03 /04 2019
ミャンマー美人による琴の演奏

 「どっかに行こうよぉー!」と誘われて出掛けた、ミャンマー旅行。
 勿論機会があれば行ったみたい国でしたが、その時は、たまたま手近にパンフレットがあって、値段もマアマアだし、と急遽決めた旅でした。

 夜遅い到着の足で、夕食会場のレストランへ。入店を待ち構えていたかのように、民族舞踊と音楽のショウが始まりました。
 成田-大阪-ヤンゴン、という一日がかりの長旅で少々疲れ気味な頭に、癒し系仏教音楽のようなメロディーが染み込みます。
 タイやカンボジアの音楽に似ているな、と最初に感じたのも、この国も同様に熱心な大乗仏教国家であることと、恐らくは関係が深いでしょう。

 ところで、少なくとも我々日本人にとっては、ミャンマーと云うよりも旧国名・ビルマの方が、より耳に馴染んだ国名かと思います。
 言わずもがな、児童文学の名作にして、映画にもなった『ビルマの竪琴』の影響のためでしょうが、あちらもその辺を熟知しているらしく、ツアーで連れて行かれた土産品店には、竪琴の生演奏コーナーがありました。
 竪琴を奏でる姿をかたどった人形や、ミニチュアなどが売られています。

市場で土産品として売られているガン・サウン。

 この竪琴・ガン・サウンは、ミャンマーの言葉で「曲がった琴」という意味があり、美しい弓形の姿が、そのまま名称になった楽器です。
 黒、赤、金で彩色された装飾性の高さは、古来より宮廷や佛教儀式の場とも深く関わって来た、歴史と伝統を感じさせます。

 ヴァイオリンのように、体格に合わせたサイズ展開があるのか確認しなかったのですが、実際見た限りでは皆、床に置いて座って奏でられていました。
 映画『ビルマの竪琴』では、背中にくくりつけて戦場を移動したり、脇に抱えて立ったまま演奏しているシーンが見られるので、作中水島上等兵が持っていたのは、通常より随分小さなサイズ、ということになります。市場で土産品として売られているガン・サウン。
 尤も、原作者の竹山道雄さんは、復員した元教え子の話をベースにして作品を執筆。実際に現地で取材していないので、全くの想像で書いている部分も多いとのことです。確かに、水島上等兵が人食い人種部落で生贄にされかかる所などは、それに該当するエピソードかと思われます。
 となると、彼が持っていたのはやはりオリジナルのガン・サウンなのか知らん・・・。

 しかし、作品が想像で書かれたとしても、オリジナルな楽器?でも、作品自体が素晴らしいからこそ、細部のリアリティ云々よりも、世代を越えて、今なお平和を訴える力強さが勝っているのだと思いました。

 ・・・次はメキシコ篇!

(※ 註:この記事は 2007.1 に掲載されたものを転載しています)

第四十二回 歌舞音曲紀行・佐渡篇

音楽・演劇 等
10 /04 2018
佐渡といえば、やっぱり佐渡おけさ♪ 2006年

 6月のある週末、前々から行ってみたいと思っていた佐渡島へ行って来ました。天候に恵まれ、なかなか良い旅でした。

 佐渡というと、一時拉致問題でよくメディアによく登場して、何やら恐ろしいトコ?みたいなイメージを抱きがちです。が、昔から配流の地だった歴史的背景からも「何者も受け入れる」という気質が育まれたのでしょう。大らかな温かみも、そして文化もある所でした。

 ラッキーなことに滞在当夜は、ホテル近くの神社で薪能が奉納される、と聞かされました。
 ホテルに入る前に立ち寄った能楽資料館で、コンピュータ制御された立派な電動人形による能楽観賞をしたばかりでしたが、やはり生身の人間には叶うまい。荷物を部屋に置いてすぐ、神社に行ってみました。

 本番まで未だ大分時間があるというのに舞台では、本番さながらにリハーサルが行われていました。会場準備をなさっている方から、少しお話しを伺うことも出来ました。
 聞けば皆さんプロの役者ではない、とのこと。そして若い方の参加も、最近少しずつ見られるようになったそうです。

 トップリと日も暮れ、夜のとばりも下りる頃。道の両脇にぶら下がる提灯の明かりが、舞台へといざないます。
 夜の静けさにかがり火が揺れるという、厳かな雰囲気で『清経』が粛々と演じられました。上演約1時間。月夜の下で毛布にくるまって観賞しているカップルもいました。寒いけれど、なかなか素敵なデートです。

「清経」もいよいよクライマックス。 2006年


 私は薪能は初めて鑑賞したのですが、能楽堂で観るのと違い、自然と舞台、演者が一体となってファンタスティックな体験でした。能楽本来の姿に、少し触れた思いです。

 佐渡は能が盛んな土地。佐渡の能の起源は、諸説ある中から拾ってみますと、例えば京都から追放された都人や世阿弥が伝えたもの、というのもあります。

 観賞中、いよいよクライマックスの場面で、私の横に立っていた地元の方が、舞台上の役者に合わせて謡いを口ずさんでおられました。凄い。こういう教養をチラリとでも見せられるのは、とっても素敵。
 地元に根ざした文芸の、層の厚さも感じられました。

 興奮も冷めやらず、舞台の後には、地元テレビ局のインタビューにも調子に乗ってペラペラと応えていた私。
 ひょっとして自分のコメントがテレビに出るかも、もしオンエアーされたなら見たいなぁ、などと、俗なことばかり考えている。
 少しは高尚な世界を覗けたというのに全く・・・、なのでした。


・・・次はミャンマー篇!

(※ 註:この記事は 2006.12.25 に掲載されたものを転載しています)

第四十一回 歌舞音曲紀行・フジコサン

音楽・演劇 等
10 /02 2018
『奇蹟のカンパネラ/フジ子・ヘミング』 VICC-60123  ビクターエンターテインメント株式会社

 今更私などが申すまでもなく、長い不遇の時を経て、今や押しも押されぬ人気ピアニスト、フジコ・へミングさん。演奏のテクニックだけでなく、長い旅路にも似たドラマティックな歩みにも、人びとは惹き付けられるのかも知れません。

 服作りをしている私の母は、実はかつて一度だけ、フジコ・へミングさんの衣装を手掛けたことがありました。

 もう25年以上前のことですが、当時母がよく服をお作りしていたお客様のご友人の親戚、にフジコ・へミングさんが当たるのだそうです。
 複雑ながらそういうご縁で、スウェーデンから帰国したばかりのフジコ・へミングさんは母の所へお越しになり、コンサートを控えているので衣装を、とオーダーがあったのでした。

 一度携わった作品や顧客というのは、そう忘れるものでもないらしく、その時お作りしたドレスが白色でトレーンをなびかせたようなシルエットだったことや、彼女の風貌を母はよく憶えていました。又、不思議にもフルネームは忘れていたくせに、周りから「フジコサン」と呼ばれていたことだけ、母は記憶していたのです。

 近年、フジコ・へミングさんがメディアで採り上げられだすようになると、母はあの時の「フジコサン」かしら?と言ってはいたものの、確認することもなく月日が流れて行きました。
 「フジコサン」を連れて来られた方は、その後海外に移住されたこともあり、母はそんなことをワザワザ尋ねるのも、と先延ばしにしていました。
 そんなことで、別の筋からあの時の「フジコサン」は、やはりフジコ・へミングさんのことだと判明したのは、つい最近のことでした。

 是非に、とご本人に請われ「フジコサン」のコンサートへ当時の母は足を運んでいます。
 今やチケットがなかなか取れないアーティストの一人となったフジコ・へミングさんですが、25年も前なら、未だ不遇の時代。思えば母は、なかなかレアな体験をしていることになります。

一年の大半を海外演奏旅行で過ごすと云う“フジコサン” 日本でのお家のある。 東京 下北沢

 余談ながら「フジコサン」の職業がピアニストだと知った母は、彼女に自分の子供(つまり私のこと)に、ピアノとバイオリンのどちらをを習わせたら良いかを、ご相談したのだそうです。
 当然のことながら「フジコサン」からのアドバイスは、ピアノが良いでしょう。かくて私の稽古事は、めでたく(?)ピアノに決まったのでした。

 母にすれば、単にプロの方にちょっと伺ってみようかと思ったのでしょうが、イヤハヤ。
 超有名ピアニストとして名を馳せるのは後のこととしても、シロウトとは畏れを知らぬものです。

 しかし。「フジコサン」ほどの、とは言わずとも、ちょっと面白いエピソードやドラマというものは、案外どこにでも転がっているのかも知れません。


 ・・・次は佐渡篇!

(※ 註:この記事は 2006.12.25 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情