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第三回 宴会料理 1

食べ物・飲み物
07 /31 2018
 初めての中国(海外)で驚いたことは数あれど、高校生の子供に対してですら、当時としては精一杯の歓迎ともてなしを受けたのだなあ、とは後になって、少しは中国の事情が解るようになってからのことでした。

人民大会堂でのご馳走(この一枚しか撮れていない・・・) 1985年 北京

 まず食事は、円卓を囲んでの豪華なものばかり。
 平均的な育ち方をした、少なくともバブル期以前の日本人の子供が認識していた中国料理なんて知れたもの。
 せいぜいが炒飯や餃子などの、日本化していた家庭料理の類だったでしょう。

 そんな子供に、前菜に始まり、鶏を丸ごとから揚げにしたのやら、魚の姿煮が並ぶ、種類も量も半端でないコース料理を供してくれた所からして、中国サイドの力の入れ様が窺い知れるというものです。

 これも後で知ったことですが、食べるという行為に対して、中国人はおよそ含蓄のある民族。
 何せ挨拶代わりに「食事はしましたか?」の言葉が出て来るお国柄です。
 
 こうしたことからも解るように、中国人の付き合いに食事は欠かせないもの。共に食事をすることでビジネスの話を進めたり、友好を深める。

 有効かつ自然な交際術として、単に団欒やもてなす、という意味に止まらないニュアンスを含んでいるのです。

四川見た目も美しい冷菜 なかなかこのように全て整った様子を写真に納めるのは難しい・・・(皆どんどん箸を伸ばすので・・・!) 1993年

 当然ながら高校生当時、そんな知恵も何も無かった私は、米飯が最後に出て来るのが、大そう不思議でなりませんでした。
 酒を酌み交わしながら料理をつつき、最後に主食で〆る、大人の食事とは違います。
 実際その形式で料理が出されていた訳ですが、濃厚な味付けのものばかり口にしていれば、いくら美味しくとも米飯が欲しい。

 少量のおかずで米飯を主に食すのが、元来の日本人的な食事の仕方だと聞いたことがあります。だとすると、私にもシッカリ日本人のDNAが組み込まれているのでしょうか。

 「この料理、米飯と一緒に食べたかったな。」
 毎回必ず米飯が出るのかどうか分からないし、それを待っていて他の子にお菜を取られて結局味わえないのも癪に障ります。出される順にドンドン詰め込んで膨れ上がったお腹をさすりながら、小さな後悔を繰り返していました。

 でも、宴会料理のスタイルなど識らなかった子供としては、仕方が無かったよね、と苦笑出来る思い出ではあります。

            
 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2005.7.8 に掲載されたものを転載しています)
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第二回 初渡航

中国
07 /25 2018
  カルチャー・ショック、という単語は最近耳にしないので、ひょっとして既にチト旧い言葉の部類に入るのでしょうか。

北京の初夏 於什刹海

 今や小学生ですらパソコンを駆使する時代ですから、情報も氾濫して「ショック」や新鮮さを感じる機会が少なくなったような気がします。
 寧ろそのせいで、別の問題が派生するという矛盾を抱えているのが、現代日本の姿かも知れませんが・・・・・。
 
 あらゆる情報を選択、処理、理解する能力が問われるようになって益々、何かを感じること、その感覚を磨くことが、より大切になるのではないか、と自戒の意味を含めてそう思います。

 これ迄の自分にとって、最大級のカルチャー・ショックと言えば、やはり初めての海外、中国で見聞した物事でしょう。

 聞きしに勝る自転車の洪水。ドア無しや、あっても立ち上がると半身分の高さしかないトイレ。男性の、短パン長ソックス&サンダルのいで立ち(夏だから?)。
 
 etc.etc.・・・・・

 どれもこれも、これ迄見たことがなかったものばかりで、大した驚きだったと記憶しています。

 私が初めて中国を訪れたのは1985年。
 東京都が北京市と姉妹都市な関係で、毎年船一隻に都内の高校生を乗せて訪問する「東京都青少年洋上セミナー」の団員として、初めて中国の地を踏んだのでした。

これが私の海外(中国)における初ショット★ 寄港した天津の港に勢揃いした子供達の歓迎隊(?)

 ・・・しかし、当時、恐らく他の多くの参加者と同じく、私も特に中国へ行きたーい!という思い入れはありませんでした。
 それどころか、中国から連想するものときたら、TVや映画で観た西太后だの、文化大革命だのの、歴史的・時間的関係を一切無視した、恐ろしげな絵が浮かんでくるテイタラク。
 
 どちらかと言えば、ドロドロした、何となく得体の知れない怖い国?、位にしかイメージもありませんでした。

 日中友好を育みましょう、のねらいで始められた事業にも関わらず、こちらとしてはただ単に「安く外国へ行ける!」という、誠に不謹慎な考えで団員に応募し、幸運にも抽選に当たり、審査を経て海を渡ったことを、ここに白状しましょう。

 それはさておき、中国への渡航が未だ珍しかった時代。特殊な身分で渡航したこともあり、国内事情や旅行ビジネスも発達して変化が著しい現在では全く同じ体験が出来ないだろうことも多く、今思えば初めての中国訪問は、貴重な「ショック」だった訳です。

                  
 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2005.6.30 に掲載されたものを転載しています)

第一回 プロローグ

中国
07 /24 2018
 ワタクシ、初めての海外渡航先が中国ならば、大学も中国文学科へ進学。

 大学在学中には短期留学、その後幸運にも公費留学生として北京大学に2年在籍。
 
 大学卒業後、バブル崩壊のあおりを喰らいながら何とか就職した先は、これ又中国関係の会社。

北京の初夏 北京大学勺海 1992年 北京

 そんな私の経歴を知る方からは「余程中国が好きなんですね」という言葉を頂くことが多いのですが、本人にしてみれば一寸違うんだよなー、という感覚です。
  
 どちらかと言えば、大した努力もせず、偶然とくされ縁でズルズルと中国関係の半生を歩んで来てしまった、という方が近いのでは、と。

 そんな私ですが、付き合いだけは長い中国なので何か他人様にお話し出来ることもあろうか、と思い切って筆を執って(=キーを叩いて)みました。

 本稿では、現在の自分に果たして役立っているのかないのか、中国での体験談を交えて、新旧様々な「中国話」が出来れば、と思っています。

 なお表現上の問題ですが「中国」というのはここでは「中華人民共和国」(いわゆる「大陸」)、「中国人」は「現地の人」として、予め断りがある以外、特に民族の別を問わないこととします。

北京の「顔」、天安門。国慶節で美しく飾り付けられた天安門広場より

 文中に時折中国語にカタカナで音を付記している箇所があります。個人的に、言葉は正確な音を口頭で発して初めて・・・、と思わなくもありませんし、カタカナの表記自体限界はありましょう。そこで、頻発を避け、音を付記することでその場の雰囲気が出ると思われる場合に、敢えて用いるようにしました。

 その場合、例えば「飲茶(ヤムチャ)」等、広東語(方言)ながら既に日本に定着している音などを除き、原則標準語の音にて表記しています。

 広大な国のこととて同じモノを指す単語でも、ここではこう言う、そこではどうだ、の違いはあると思われます。その点を含み、多大なるご教示を賜れば幸いに思う次第です。

        
 ・・・以下続く

(※ 註:この記事は 2005.6.24 に掲載されたものを転載しています)

かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情

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