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第四十一回 歌舞音曲紀行・フジコサン

音楽・演劇 等
10 /02 2018
『奇蹟のカンパネラ/フジ子・ヘミング』 VICC-60123  ビクターエンターテインメント株式会社

 今更私などが申すまでもなく、長い不遇の時を経て、今や押しも押されぬ人気ピアニスト、フジコ・へミングさん。演奏のテクニックだけでなく、長い旅路にも似たドラマティックな歩みにも、人びとは惹き付けられるのかも知れません。

 服作りをしている私の母は、実はかつて一度だけ、フジコ・へミングさんの衣装を手掛けたことがありました。

 もう25年以上前のことですが、当時母がよく服をお作りしていたお客様のご友人の親戚、にフジコ・へミングさんが当たるのだそうです。
 複雑ながらそういうご縁で、スウェーデンから帰国したばかりのフジコ・へミングさんは母の所へお越しになり、コンサートを控えているので衣装を、とオーダーがあったのでした。

 一度携わった作品や顧客というのは、そう忘れるものでもないらしく、その時お作りしたドレスが白色でトレーンをなびかせたようなシルエットだったことや、彼女の風貌を母はよく憶えていました。又、不思議にもフルネームは忘れていたくせに、周りから「フジコサン」と呼ばれていたことだけ、母は記憶していたのです。

 近年、フジコ・へミングさんがメディアで採り上げられだすようになると、母はあの時の「フジコサン」かしら?と言ってはいたものの、確認することもなく月日が流れて行きました。
 「フジコサン」を連れて来られた方は、その後海外に移住されたこともあり、母はそんなことをワザワザ尋ねるのも、と先延ばしにしていました。
 そんなことで、別の筋からあの時の「フジコサン」は、やはりフジコ・へミングさんのことだと判明したのは、つい最近のことでした。

 是非に、とご本人に請われ「フジコサン」のコンサートへ当時の母は足を運んでいます。
 今やチケットがなかなか取れないアーティストの一人となったフジコ・へミングさんですが、25年も前なら、未だ不遇の時代。思えば母は、なかなかレアな体験をしていることになります。

一年の大半を海外演奏旅行で過ごすと云う“フジコサン” 日本でのお家のある。 東京 下北沢

 余談ながら「フジコサン」の職業がピアニストだと知った母は、彼女に自分の子供(つまり私のこと)に、ピアノとバイオリンのどちらをを習わせたら良いかを、ご相談したのだそうです。
 当然のことながら「フジコサン」からのアドバイスは、ピアノが良いでしょう。かくて私の稽古事は、めでたく(?)ピアノに決まったのでした。

 母にすれば、単にプロの方にちょっと伺ってみようかと思ったのでしょうが、イヤハヤ。
 超有名ピアニストとして名を馳せるのは後のこととしても、シロウトとは畏れを知らぬものです。

 しかし。「フジコサン」ほどの、とは言わずとも、ちょっと面白いエピソードやドラマというものは、案外どこにでも転がっているのかも知れません。


 ・・・次は佐渡篇!

(※ 註:この記事は 2006.12.25 に掲載されたものを転載しています)
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かずよ

北京留学時代のちょっと懐かしい話題から現代中国事情

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